深堀隆介展「金魚鉢、地球鉢。」
上野の森美術館で開催されている 深堀隆介展「金魚鉢、地球鉢。」 を観た。
今年は美術館に行くようになった。たまに都内近郊でおもしろそうな展覧会がないか、開催スケジュールをチェックしている。今回は立体的な作品に興味を惹かれたのと、妻が金魚好きなのでちょうどよいと思い、妻を誘って行くことにした。
とても素敵な作品で、見ごたえのある展示だった。
最近の作品になるにつれて、描かれている金魚の立体感はもちろん、水の波紋や表面に張った氷など樹脂部分の表現力も増していた。作者が自分で編み出した技法と時間をかけて向き合ってきたことがよくわかる展示だった。
初期の作品に、羊羹みたいな形の樹脂に金魚の絵を閉じ込めた作品がある。20 年近く前の作品なので時間が経ってかなり黄変していたのだけど、それを見て樹脂は黄変するという当たり前のことに気づいた。2010 年以降の作品には超難黄変エポキシ樹脂が使われているけれども、それでもいつか色味が変わってしまうかもしれない。つまり、これらの作品がこれほど透明度の高い状態で見られるのは今だけ。そう思ったら作品の見え方が少し変わってきた。
樹脂が閉じ込めているのが絵具ではなく時間に思えてきた。金魚の絵から生きているような躍動感を感じるのは時間を止めたからだと思う。木板や空き缶も樹脂に包まれることで風化も緩やかになり、同時に当時の姿かたちを残している。閉じ込めた時間が作品にまだ残っているような、ノスタルジックな雰囲気も感じる。時間は完全に止まっているのではなくて、まるで水が濁っていくように、ゆっくりと時間をかけて徐々に黄変していく。
樹脂とアクリル絵具を重ねる立体作品がメインではあったが、2 メートル以上ある平面に大きく描かれた作品や、墨絵、ダンボールを水槽に見立てた作品、映像、と金魚という一貫したテーマがありつつも、その上で様々な手段を使って表現しているところに、作者の金魚が好きな気持ちがあふれていたように思う。
水があるところ・あったところならどこにでも金魚がいるという解説とともに遍在する金魚たちを見ていたら、さっきのノスタルジックさと合わさって「廃墟化して浸水した都市に植物が根を張り時間が止まったかのような世界で金魚だけが泳いでいる」みたいな映像が思い浮かんだ。
今年、トライアローグ展やライゾマティクス展といった展示を見てきて、アートとは作家が試行錯誤し表現の可能性を探る行為そのものが既にアートなのだという認識を持った。この展示はそういった作者の芸術行為がよくわかる構成と適切な解説があって、金魚という親しみやすい題材もあいまって、とても楽しく観ることができた。
2021 年の美術鑑賞を良い展示で締めくくれたと思う。